自然を知る:二十四節気と七十二候

令和7年1月の境内の様子

みなさん、こんにちは。初詣にはお越し頂き、ありがとうございました。きっと神様もお喜びだと思います。神前で祈られた今年の願いが叶いますように、私も陰なら応援しております。

さて、12月15日更新に宣言しましたが、今年からは「感性を育む」をテーマにブログも更新できたらいいなと思っております。

神道には日本人の感性が詰まっていると思っています。

私が思う感性とは心の動きを表すことで、何かを受けたとき、それをどのように感じて、どのように表し伝えるか、受け入れて・受け渡すがひとくくりで表された言葉ではないかと思います。

古代の日本人が日本・それぞれの地域に住んで、四季折々を感じとって生活の中に表していったことの積み重ねが神道にはあると思います。そこには受け取る相手がいて相手への感謝と受け渡す相手への思いやりがあるように感じます。

私は去年の夏頃より、はじめて暦を作りました。昔は神社に所属する御師が暦を配り歩いていました。暦は日を読むが語源と考えられています。どのような日なのかを知る暦法は推古天皇の時代に伝わりました。「そろそろ種植えの準備をしよう」と判断していた山に積もった雪の形も暦といえます。

暦の中で季節を知ることができる項目に二十四節気と七十二候があります。どちらも中国より伝わり、二十四節気の方はそのまま使用しているため若干日本の気候とズレがあります。一方の七十二候は日本に合うようにアレンジがされています。

二十四節気は黄道を15度ずつわけ、そこに太陽が通るときに気が変わると考えられています。毎年気象庁が日時を公表します。昔は陰陽師が計算していました。陰陽師はオカルトぽい印象を受けますが科学者です。

暦というと大安吉日、仏滅に三隣亡や一粒万倍日など、なんか占いの要素が強くなり吉凶判断のために使われていますが、本来は自然を知るためのものですし、もっと一人一人の出来事の歴史を反映した暦となってよいように思います。

一日を楽しくするために占いを利用するのは構わないと思いますが、左右されてしまうのはもったいない使い方だと思います。今日の出来事を一年後詳細に覚えてはいません。一日一日がどんな日なのか知るよりも、もう少し長いスパンで日をとらえ、どんな日なのか感じることが感性を育むのではないかと思います。

1月5日に小寒を迎え、20日には大寒となり一年でもっとも寒い時期となります。寒くて嫌だなと二十四節気では感じますが、七十二候には雉はじめて鳴く、蕗の花咲く、鶏が卵を産む準備をするため、はじめて戸屋についく、と命の躍動が感じられます。「あ、二十四節気と七十二候って違うんだな」「そうなんだ」と知ることの方が「次」があって楽しいんじゃないでしょうか?

今年は二十四節気と七十二候を感じる暮らしがしたいと思っています。特別なことをしなくても、それでいいと思います。感性を育むために、まずは季節を感じうけとりましょう!

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