昔の日本人は書く言葉にも言霊を信じている

書き言葉の多様性

 先日、干支九星学の先生に私が書いた運勢判断を見て頂きました。1月から「今月の気運」を書いていること、29才から個人的なブログを書いてきたので、それなりに書けていると評価を頂けるかなと思っていました。

先生からのフィードバックで特に印象だったのが2つ、「短い文章でも起承転結でかくように」「文章が大人向けになったり子ども向けになったり一定していない」です。

子どもの頃から文章を書くのが嫌いではないのですが、意識すると筆が止まってしまうので「起承転結で書く」ことを無視していました。モヤモヤした思考を書き殴ることでのストレス発散や趣味の文章をずっと書いてきたこともあり、起承転結がない文章が定着していたようです。

 ビジネス文書や手紙など相手に読んで貰う文章では決まったパターンで書くことがマナーです。決まったパターンの良い点は内容を理解しやすいことです。全文を読まなくても大体のどこに重要な事が書かれているか見当がつきます。

 日本語は口語・文語、古典文・現代文、丁寧語、ビジネス文書、手紙、年上・同僚・家族、また媒体によって使われる言葉が違います。こんなに豊かな言葉がある国は珍しいのではないでしょうか。

言霊を大切にする国だからこそ、言葉の使い方が沢山あるのように思います。言葉を声に発すると不思議な力が働くと信じられ、それを言霊と呼んでいました。音にしなくても文字や記号など何かに記された時点でも不思議な力が宿ると感じ、言葉の使い方に敏感で正確に表現するために言葉が豊富になったのではと思います。

 語彙が豊富であると理解力・思考力が高くなる傾向があると言われています。語彙力が高ければ他人とのコミュニケーションだけでなく、もやもやしたとき書き出すことによって気持ちが整理されより深く考えられ多角的な深い視点を得られます。

そこで、先生の文章のパターンを覚えれば、起承転結を身につけられ、文章レベルが一定するのではと考えました。もちろん丸写ししても運勢を見る力が付かないので、今週の運勢を見ながら文章を書く練習を始めました。

 だけども先生の文章を真似して書こうにも、今の私には語彙が少なく何て書いていいのかキーボードを打つ手が止まります。先生みたいな文章を書けるようになるには、なかなか道のりが長いようです。