闇バイトに対して我々は何ができるか

11月15日表紙

少し前から「闇バイト」が話題になり始めましたが、テレビではその悪質さが増し、強盗犯罪などの凶悪事件に至るまで発展する事件が増加し、社会に大きな恐怖を与えています。

ここ八千代市や四街道市でも闇バイトによる強盗事件が発生しており、ますます身近な問題となっています。

SNSやアプリで簡単に闇バイトの情報に触れることができ、最近では若者だけでなく、大人までもが闇バイトに関わって犯罪に手を染める例が増えているようです。 「電車賃が欲しかった」「生活に困っていた」といった経済的理由が挙げられることが多く、貧困を背景に残忍な暴力事件が発生しているのが現状です。

しかし、本当に貧困が理由で人を苦しめるような行為が許されるのでしょうか。同情の余地があるように思われますが、私には許すことができない犯罪です。

明治天皇の御製に、「目に見えるぬ神に向かってひて恥ざるは人の心のまことなりけり」という御歌があります。意味は「目に見えない神様にむかっても恥ることがない心が誠の心です」

幼い頃、祖母から「お天道様が見ているよ」また「悪いことすると死んだときに閻魔様のところで悪行をすべて見させられるよ」と言われたものです。私は「何かに見透かされているのだ」と思い、自分を戒めたものです。

最近のニュースではモラルの低下が取り沙汰され、大人が判断力を欠いた行動で問題や犯罪をしている様子が見受けられます。そんな様子を見た若い人たちに、恥や分別のある行動をしろ、といえるわけがありません。

私たちは、私たち一人一人が存在して共に生きる他者との関わりの中で「恥」の心を大切にしてきました。現代社会では「自分の価値観を大切にする」「他人と比べない」「他人の目を気にしない」といった考えが推奨されています。個人主義の世の中になって忘れてしまったのかもしれません。

御歌の意味とは違いますが、「もしかしたら、私は知らずの知らずのうちに恥ずかしいことをしているのではないか」と顧みることが本当の誠ではないかと思います。

祭典で「万全を尽くしても万全ではなかったかもしれない、神様に失礼なことをしていないだろうか」と、「私の意見よりもっといい意見があるかもしれない」と少しの矛盾が恥なのではないかと思います。

「恥」をネガティブに捉えるのでなく、生き方の美学や大和心とでも言い換えてもいいでしょう。今一度「恥」の心を思い出して、少しでも若い人たちの手本となれるように毎日を全うしましょう!