愚痴よりも感謝を:登山から学んだこと
先月、磐座を目指してとある山を登ってきました。今回は、その登山を通じて学んだことをお伝えしたいと思います。
私の登山経験は、これまでに低山2回とバスツアーでのハイキングコース程度ですが、歩くことには自信がありました。しかし、どんなに「初心者向けの低山」と言われていても、山を甘く見てはいけませんでした。
奥宮からさらに1、2時間先にある磐座を目指して、ひとりで低山を登りました。山頂まで行くには3つのコースがあり、そのうち途中にも磐座があるやや傾斜のある道を選びました。
途中で何度も休憩を取りながら、予定時間ぎりぎりで山頂まで到達しました。ところが、頂上で休んだ後、立ち上がった瞬間に太ももの筋肉がつり、しばらく動けなくなってしまいました。
私の目的は山頂ではなく、その先にある磐座です。足の痛みを堪えながら「次に来られるのは来年以降になるだろう」と考え、どうしても今回たどり着きたかった。しかし、奥宮から先の道は急に険しくなり、滑りやすい道を進むたびに「到達できないかもしれない」と思うようになりました。
それでも、諦めるには時間がかかりました。結局、磐座にはたどり着けず、引き返すことを決断しました。力不足を認めることには勇気が必要でしたが、戻りの道中で心を支えてくれたのは、周囲の音でした。途中で一組のご夫婦が持っていた熊よけの鈴の音が、私の孤独感を和らげてくれました。
その鈴の音を聞きながら、私は次第に「無事に下山できているだけでも有難い」と感じるようになりました。足がつり、力不足に打ちひしがれていたときには、愚痴ばかりが頭に浮かびましたが、山を下りながら「初心者なのにケガもなくここまで来られた」「こうして健康で山に登れることが、そもそも幸せなことだ」と前向きな気持ちが湧き上がってきたのです。
この「感謝」の気持ちが芽生えた瞬間、重く感じていた体が急に軽くなり、下山への集中力が戻ってきました。愚痴をこぼしていたときの疲労感が嘘のように消え、逆に感謝の気持ちを持つことで心も体も軽くなるのだと実感しました。
この体験を通じて感じたのは、感謝の力です。登山だけでなく、人生全般において、困難な状況に直面したとき、私たちはつい不満や愚痴に囚われがちです。しかし、そのような感情は、さらなる疲労や無力感を生み出し、前進する力を奪ってしまいます。
一方で、今ある状況や自分に与えられた環境に感謝することで、物事の見方が大きく変わります。感謝する気持ちは心の重荷を軽くし、自然と前向きな思考へと導いてくれます。たとえ目的を達成できなかったとしても、過程に感謝し、そこから学ぶことを大切にすれば、私たちは新たな力を得ることができるのです。
登山を通じて学んだ「感謝して歩く方が楽になる」という教訓は、日々の生活においても同じことが言えます。仕事や人間関係、家族との時間においても、つい愚痴をこぼしてしまう瞬間があるかもしれません。しかし、その時こそ、感謝の気持ちを取り戻すことで、より軽やかに、そして充実した人生を歩むことができるのではないでしょうか。