大祓詞には何が書かれているか、その意味は
「今日よりはじめて罪という罪はあらじと祓え給い清め給うことを天津神国津神八百万の神達共に平らけく安らけく聞こし召せと恐れみ恐れみも申す」
大祓詞は中臣祓と言ったりするようですが、大祓詞の方が現代では一般的です。また「大祓詞」と言われた時は現代によく読まれている祓詞の一種になります。
今回の記事は大祓詞の意味を中心に書いております。大祓詞のデーダを置いていますので、大祓詞を見ることができます。最後までお付き合い頂ければ幸いです。
大祓詞について
私たちがいう「大祓詞」は神道大教の教典である『教の鑑』に収められた祝詞になります。日々のお祭りや事あるごとに、管長先生をはじめ教師、信者が一緒になってご神前に向かい読み上げます。
*神職の呼び名が一般的ですが、信者が神道大教で神様にご奉仕する資格を与えられた人を教師と呼んでいます。
大祓詞のルーツ
この大祓詞のルーツは延喜式祝詞に求めることができます。延喜式祝詞の中に6月と12月の晦日に大祓を行った際に読んでいた祝詞が収められています。これが大祓詞です。
6月と12月の晦日の夕方親王以下百官の男女が朱雀門広場に集まり大祓を行いました。この時に集まった人々に中臣氏が読み上げました。この祝詞は「聞こし召せと宣る」という宣命体で書かれました。
この祝詞を「聞こし召せと申す」という八百万の神々に祈る形にかえた「中臣祭文」が『朝野群載』が収められています。この中臣祭文が人々に伝わって、現在の大祓詞になりました。
大祓詞の広がり
たぶん、みなさんが目にする機会が多いのは、神社本庁の大祓詞でしょうか。当社は神道大教に所属しますので、別の大祓詞になります。
違いと言ってもそれほど変わりません。大きくは罪穢れを省略しないところです。天津罪と国津罪を事細かく列挙します。
陰陽師へ
平安時代の貴族の日記には参拝する前に陰陽師に中臣祓いを読ませたとあり、安産祈願や病気平癒の祈願に中臣祓を読ませたと書かれています。今昔物語にも樹木の伐採のお祓いとして中臣祓を読んだお話しがあります。
神社で読まれていた大祓詞が陰陽師に広がり、「百度祓」「千度祓」など何度も読み上げる儀式が行われました。
仏教へ
そして、平安時代の終わりには仏教にも受け入れられました。「中臣祓」を読むときにホラ貝を吹き杖や鈴をを振り、太鼓や鉦鼓を鳴らし、人形に祈願する人の息を吹きかけた後、茅の輪をくぐりました。
その頃に書かれたとされる『中臣祓訓解』は台密(天台密教)を中心とした仏教の教理に基づいて注釈が書かれています。
伊勢の神主や吉田家へ
この流れを受けて伊勢神宮の神主も中臣祓を重視するようになりました。室町時代になると吉田家も中臣祓を重視するようになります。二つの流派は戦国大名や領主と関わりながら全国に広がります。
伊勢流中臣祓は「祓へ給い清め給う」と読まれていた部分を「祓へ給い清め申す」という自力祓いの形で読んでいます。また、吉田家よりも早く祓詞を5段に分けて解釈を試みようとしました。
吉田流中臣祓は他力祓えの「祓え給い清め給う」と呼んでおり、また「八百万神達の左男鹿の耳振りたてて聞食せと申す」と呼んでいます。
また、祓詞を13段に分けて、一年の月ごとに合わせて解釈を行いました。こういった解釈を吉田兼倶は天皇や貴族に大祓の講義を行い、京都の貴族達に広がりました。
江戸時代
江戸時代になると朱子学者の山崎闇斎が大祓詞の研究を行います。中臣祓は君主と臣下の関係を述べたものだと考えています。
さらに「中臣祓い」の中は天御中主神を指しており、天御中主神と天照大御神は同じで、天照大御神の御心で生きることを説きました。
その後、本居宣長も上代の言葉や心を理解する古典として研究をしました。祓えとは黄泉の国で発生した禍事を再び黄泉の国へ返す行為であり、大祓詞はその祓いを行う理由や行ったことを神様に申し上げる言葉であると説きました。
大祓詞の意味
大祓詞に書かれている言葉を分かりやすい意味にしました。併せて大祓詞を読んで見てください。細かい意味が分からなくても、分かるようになっています。
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高天原にいらっしゃる男神女神のご命令を受けて、沢山の神々を集めて会議を行ったところ、天照大御神の御孫の命が「豊葦原の瑞穂の国を平和で安心できる国にして治めなさい」とご命令をお受けになりました。
こうして、国中の(ニニギノ)命に従わない神々の話を聞き説得をして回ったところ、草の葉まで動くのをやめる程騒動が静かになりました。そこで天の世界から幾重にも重なった八重雲をかき分けてこの地上に降り立ちました。
御委任された国の中心部として大倭日高見国に立派な宮殿をお建てになり、ここでもっと平安な国になるように統治を行いました。
しかし、統治なさる国の人々が増えるにつれて過ちの種類や数が増えることを懸念しました。例えば、天津罪とは田畑を壊す行為や田畑を耕す午や牛を殺して皮を剥ぐ行為、せっかく貯めた肥だめを蒔き散らかすことで、国津罪とは人の皮を剥ぐことや淫らな行為をすること、昆虫や鳥の災害や落雷などの災害、生き物を殺して呪う行為などです。
こういった罪が起きたら、清らかな宮殿を建て、金属のように固い木の根元から切って、祭壇に置き、清らかな麻をの根元から切り細かく裂いて、清らかで立派な祝詞を読みましょう。
祝詞を読んだのなら天津神は天の門を押し開いて幾重にも重なった雲を押し分けて、国津神は山々の頂上に登り霧や雲を押し分けて、聞いて頂けます。
聞き届けて頂けたのなら、国中の罪という罪が、風が雲や霧を吹きはらうように、また港の大きな船が航海に出るように、茂った木の根元をしっかり火入れして研いた鎌で切るように、罪がことごとく一つも遺ることなく祓い清めて頂きたいことを願います。
そうすると山々の頂上から流れ落ちる早川にいらっしゃる瀬織津姫が海に持ち運びます。海に持ち運ばれた罪は渦潮にいる速開津姫が飲み込んでくれます。飲み込んだ罪は息吹戸主神に渡り、根の国底の国へと息吹に乗せて運びます。そうすると、根の国底の国にいらっしゃる速差須良姫がこすってなくします。
このようにして、お祓いを行った今日から罪という罪はなくなるように祓い清めて頂けるように天津神、国津神、沢山の神様、どうかお願い事を聞き届けて頂けるようにお願いします。
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大祓詞の本当の意味の見つけ方
大祓詞の解釈
大祓詞を解釈する方法として2通りあります。
- 言葉からの解釈
- 信仰からの解釈
言葉から解釈は学問的な研究から学ぶことができます。
本当の意味は解釈によって変わります。言葉からの解釈は書いてある内容を超えることができません。例えば、「語問いし磐根樹根立草の片葉をも語止めて」は「言葉を話す岩や樹が話すのを止めて」となります。
また、天津罪国津罪も言葉通りの罪となります。そうなると、これらの罪観念が現在の罪観念に合わないこと、差別的と捉えかねないことを理由に大正三年に罪が削除されました。詳しくはこちら
信仰からの解釈では歴史的事柄や文法など言葉を理解することを無視してしまう場合があるかもしれません。そのため、2通りの解釈をバランスよくすることが大切です。
大祓詞をどのように読むか
語られる人によって意味が違うかもしれませんが、「大祓詞」は深い教えを含んだ祝詞といえます。
では、この深い教えを含んだ大祓詞を私たちはどのように扱えば良いでしょうか。それは、深い教えが含まれていると信じて、事あるごとに読めばいいと思います。
私は大祓詞を大体4分半で読んでいます。前後の作法を入れれば6分弱でしょうか。人の集中力は3分といいます。大祓は大きく2段に分かれますので、ちょうど良く集中できる長さです。
大祓詞を何度となく読んでいると、ふと浮かぶ事柄があるでしょう。それを感じればいいと思います。大祓詞を一心に読むことが大切です。
人に教えを請いても、それはその人が得た解釈であったり教えです。神道が宗教ではないとされている理由に「教えがない」といいます。他人に押しつけることがなければ、あなただけの解釈であってもいいはずです。
本当の意味は、言葉からの解釈と信仰からの解釈を深めることで知ることができます。本当の意味はあなたが見つけてください。
私は「大祓詞に流れる日本人の心、よりよい明日への祈り」でお祓いを行う意味は究極の「死」という問題に向き合って、本来の自己を見つめ直し、悔い改めることだとお伝えしました。
大祓詞を読むだけではなく、大祓詞に書かれている罪に照らし合わせて反省を行い、よりよい自分になろうと決心することだと思います。
最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございます。