ブログ再開にあたり大和八幡神社の規則から今後の活動を考える

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近況報告と神社の規則の紹介です。

規則の紹介がてら、今後の神社活動の方向性を考えてみたいなと思ってます。

近況報告

端午の節句にあわせて鯉のぼりののぼりを境内に飾りました

5月15日に少しホームページの模様替えを行いました。

変更したところは出張祭典のページに写真を載せたこと、ヘッダーメニューにあったブログのリンクをフッターメニューに移動しました。

出張祭典のページの写真は業者さまから頂いたリアルな写真です。地鎮祭をご検討中の方は雰囲気が伝わると思います。

ブログ再開します

なんかね、ヘッダーメニューにブログリンクを貼ると書きづらかった・・・。

「真面目に書かなきゃ」「神社の運営に関することがいいよね」「アクセス数あるような記事を書かなきゃ」って、初めの頃は気合いで書いておりましたが、だんだんエネルギーダウン。

フッターメニューに移動しましたので、今後は「神社公式」を意識せずに、私の考えや悶々していることなど、神社に関係しているような・していないような内容をどんどん書いていこうと思いますよ。

以前、アメーバブログで書いていた頃のように、「いや、これ下書きだろう?」ってレベルで投稿します。

『論語』は神道に影響をあたえているのでは?

昨年の秋頃から論語の素読会に参加しています。

今月はアマゾンのKindleでパブリックドメインの和辻哲郎『孔子』と下村湖人『論語物語』を読みました。今は、『中庸』をよんでいるところです。

古事記の応神天皇の段に古事記と千字文が伝わったと書かれています。わざわざ書かれているところが、なんか怪しいですよね。

制度を作っていく過程で論語の考え方が神道に影響を与えているのではと思っています。

文字がなかった頃は神道はぼや~と伝わっており、それを文字にすることによって明確化していったと思います。そのなかで論語の思想が役にたったんじゃないかな、って思ってます。論語の思想を通して神道を見ている、そんな感じです。

ま、これは想像の段階です。

でも、読んでいると、「天命」「道」が理屈じゃなくて伝わってきます。

神道をベースに生きている人には分かりやすいんじゃないかな、より神道を実践するにはよい手本になるんじゃないかなと思っていますよ。

大和八幡神社の規則より

さて、規則についてみてみましょう。参拝のページに掲載しています。

大和八幡神社は神道大教院に御奉祀される主神の御分霊並びに八幡神を表名祭神として奉祀し惟神の大道を遵奉して神道大教の教義を広め、その信仰の宣揚と実践に努め、祭儀、行事を行い、信者を教化育成することを目的とし、その目的を達成するために必要な業務および事業を行う

大和八幡神社規則 第三条より

ふぅ。むずかしいですね。読解力が試される規則です。

冒頭の「大和八幡神社は神道大教院に御奉祀される主神の御分霊並びに八幡神を表名祭神として奉祀し」は御祭神を明記しています。

規則の骨格

規則の背骨は、「大和八幡神社はAの目的のためにBを行う」です。

もう少し骨つきをよくしましょう、5W1Hを考えると見えてきます。5W1Hとは

  1. Who(誰が)・・・・大和八幡神社
  2. When(いつ)
  3. Where(どこで)
  4. What(何を)・・・・必要な業務、事業を行う
  5. Why(なぜ)・・・神道大教の教義を広め、その信仰の宣揚と実践に努めるため
  6. How(どんなふうに)・・・祭儀、行事、信者の教化育成

あまり読解力がないので、こんな感じでしょうか。

難しい単語

  • 遵奉(じゅんぽう・そんぽう)・・・守り従う
  • 宣揚・・・広く世の中にあきらかに示すこと

規則に書いてあることを簡単に訳すと、「大和八幡神社は神道大教の教義を広めために活動する」となります。

神道大教の教義と信仰とは

大教院の月次祭にお参りしました

では、「神道大教の教義」とはなんでしょうか?

ちょっと考えてみたいのですが、また難しい言葉が・・・

定義が必要な言葉

  • 惟神の大道
  • 神道大教の教義
  • その信仰

よく「かんながら」っていいますけど、「神様の大御心の中で生きる」「神様の御心に添う生き方」っていわれますが、分かるようで分からない言葉だなぁって思いますね。

字面で分かっても、それが果たして分かると言っていいのか悩みます。

次に、神道大教の教則から抜粋します。

本教の教旨は、惟神道にある。之を履践し、これを宣揚するを以ってその要とする。神意は、修理個成の神業となって万般の事象に顕現し、神徳は産霊の活動となって社会相互の慶福を増進する。

是を以って神明を尊信し、神明の大教を明徴し、之に随順すると共に禊・祓・鎮魂を厳修して祭祀・礼典を修斉し、祈祷・禁厭により凶事を去り、災禍を攘い、吉事を願い、幸福を祈り、顕幽一致、生死不二、神人合一の境地に到達するをもって教義の大要とする。

神道大教教則 第六条より

こちらも参拝のページに掲載しています。

難しい言葉ばかりですね・・・

難しい単語

  • 教旨・・・教えの趣旨。内容の目的や理由
  • 明徴(めいちょう)・・・はっきりと証明すること
  • 禁厭(きんえん・きんよう)・・・まじない、呪術的なこと
  • 攘い・・・祓う
  • 大要・・・あらまし

惟神道とは

本文中に「これ、是、之」がよくでますが、「これ」がさしているものは、すべて「惟神道」のようです(自信ない)

「惟神(かんながら)」が「神様の御心に添う生き方」であるなら、その御心は何か?

それが、「神意は、修理個成の神業となって万般の事象に顕現し神徳は産霊の活動となって社会相互の慶福を増進する。」にあたります。

つまり、「神様の御意志は地上のあらゆるモノ・コトに表れ、神様のお力は創造生産活動であり共存社会を繁栄させる」となります。

神様は社会の幸せを願っているんだと思います。これが神様の御心ではないでしょうか?

惟神道とは社会相互の慶福に貢献する生き方と定義できます。

教義は個人まかせ

そのあとの「是を以って神明を尊信~」は宗教的な行為や心境がかかれています。

心境については、顕幽一致、生死不二、神人合一の境地は難しいんじゃないかな。

人間社会では戦争は絶対悪だし、なぜこの世に犯罪者がいるのか、悪い人嫌な人がいるのか、など神様が作った世界の割に目をつぶりたい世の中なのはなぜなのか・・・

そういった疑問を通り越さないと神人合一にはなれません。

でも、面白いのが宗教的な行為を通して境地に至ることを目的にしていることです。

目的と方法が書かれているのに、何が大切か、守ることがかかれていない。

社会相互の慶福といわれても、「幸せって人それぞれ違うでしょ?」と思いませんか?

困ったなぁ・・・

信仰とは自分なりの答えを探すこと

当社の規則にある「神道大教の教義を広め、その信仰の宣揚と実践に努め」において、神様の存在を信じることだけが信仰ではないと思います。

だったら、神道大教という、大和八幡神社という特定の神社の神様を特に崇める必要はないですよね。

それに、規則でわざわざ特定の「神道大教の教義」となっているわけです。

今まで、神道大教の教義とは何かをみましたが、結局分からない。

正直、神様も存在するかどうか分からない。

この分からないものを「こうじゃないかな~」と探し考え続けるしかないんです。

神様はいらっしゃると疑わなければ、日々感謝し、それを祭典として表現する。

どのように祭典として表現するのかを、また考える・・・。

神様が願う社会ってどうなのかな~と考えて、周りと仲良く折り合って生きるにはどうしたらいいのかな~、神様だったらどんなことを思うのかな~と考えていく。

それが、教義になっていくんじゃないかなと思います。

そして、ここでいう神様は神道大教や大和八幡神社の神様となる。だから、神道大教の教義となる。

大和八幡神社の方向性は変わっていく

教義について答えがでない結論がでました。

今まで見てきて、以下のような活動が見えてきました。

社会相互の慶福に貢献する大和八幡神社の神様の心に添うように御祈願や祭典を通して、皆様にも神様の心を伝えるのが、大和八幡神社の活動

といっても、具体性が全くありませんね。

規則にあるように、「祭儀、行事、信者の教化育成」が活動内容になります。

ただ、固定されない教義のため、どんな風にするかは時代や環境、私の勉強の進み具合によって変わっていくと思います。

あぁ難しいな~。神社の責任者の私の答えが神社活動に影響するから、自己研鑽が重大ですね。

なんかよく分からないけど、悩みながら進んでいこうと思います。

そのため、御祈願などもっと神様の存在が伝わるように色々工夫していこうと思いますよ。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

後日追加

結果が伴う行動は「神道大教の教義を広め」「祈祷・禁厭により凶事を去り」の2点。

「広める」のは自分だけで納めないことシェアすることだと思う。

「凶事を去る」は目に見える凶事を去るのは難しいが、見えない・つまり起きていない凶事ならば嘘も方便で「去った」と言えるだろう。でもそれでは違う気がするので起きている凶事を去るご祈祷・禁厭ってどんなだろう?

それをする時点でなんか、私が思う神職から離れるような気がするし・・・モヤモヤ。

長くなりそうなので、記事を書こうと思います。

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