古事記の序文に太安萬侶はどんな想いを込めたのか

モッコウバラ:古事記の序文について

古事記の序文について

太安萬侶が序文で伝えたかったこと

頭にハテナの女性

序文って何?つまり、前書きなんでしょ?
だったら、読まなくてもいいよね?

序文にはどんなこと書いてあるの?

 

そう思いますよね。実は、私もそう思っていました。

序文には古事記を書いたときのルールが書かれています。序文は前書き以上に重要な価値があるんです。

今回の記事の内容

  1. 序文の概要
  2. 序文の特徴
  3. 古事記の読み方のルール
  4. 太安萬侶の古事記への想い

序文の概要

古事記は和銅5年(712年)に太安萬侶と稗田阿礼によって編纂された、現存する最古の歴史書です。この書物は上中下巻の三巻からなっており、上巻の前に序文が添えられています。

古事記の序文は、「臣、安万侶が白す」から始まります。これは、臣下が天皇に申し上げる上表文でもあります。

序文は3段からなっています。

  1. 神代から歴代天皇に至るまでの業績
  2. 天武天皇と帝紀と旧辞について
  3. 元明天皇と古事記を書くうえで苦心したこと

 

序文の特徴

序文は読んでいてとてもリズムがいいと感じます。古事記の本文に比べると、センテンスが短くテンポよく読み進められます。

これは、六朝、随、唐に流行った四六駢儷体で書かれているからです。四六駢儷体とは四字と六字の句を基本として、対句で文調を整え、華麗な文辞を用いた文体のことをいいます。

また、唐の長孫無忌(チョウソンムキ)の「進五経正義表」を模範として序文は書かれました。

長孫無忌は則天武后の擁立に反対したため、流刑されました。そこで死を迎え、汚名が晴れたのは彼の死後のことです。安萬侶は遣唐使が持ち帰った新しい漢籍を目にし、それを模範にしたと考えられます。

当時の官人は漢文体を用いるのが常識でした。その例が日本書紀です。安萬侶も当然漢文体を用いることができますし、そのつもりでした。その証拠が序文です。

では、なぜ、あえて古事記は和漢混交体だったのでしょうか。

 

古事記の読み方のルール

「しかれども、上古の時は、言と意とみな朴にして、文を敷き句を構ふること、字におきてはすなはち難し」

それは「当時の言葉と心を漢文では表せない」と安萬侶は考えました。また、天武天皇自ら稗田阿礼に誦習させたことを考えると、日本の語り口は漢文体では伝えきれません。

この当時の文字は漢字のみでしたから、どうしても漢文体では制限があります。そこで安萬侶は古事記を書くにあたってルールを決めました。そのルールは序文の3段目に書かれています。

漢字の読み方は、音読み・訓読みの2種類があります。

日本語は2種類が混ざった言葉、文章です。どれが訓読みで、どれが音読みかわかりません。そこで音注を使って、文章を読みやすく日本語の文体に近づけています。

 

太安萬侶の古事記への想い

この記事を読んでいる人のなかで、古事記は正史ではないから、正式な漢文体で書かれていないから、日本書紀より劣ると思っているかたがいらっしゃるかもしれません。

天武天皇は歴史書は国家の根本であり天皇の政治の基本であると考え、歴史書の編纂を命じました。歴代の天皇が国史を編纂してきた事業を受け継いだためと考えられます。

稗田阿礼に国史を誦習させ、心情豊かに語らせたことを思うと、壬申の乱でバラバラになった心をつなげるには心が大事だと思ったに違いありません。

そのため、安萬侶は日本人の素直で素朴な言葉と意味を表現するために、あえて正式な漢文体を用いなかったのでしょう。

安萬侶は事実の歴史ではなくて、人の心を伝えたかったのだと思います。

古事記の歴史的正確さを求めることも大切かもしれませんが、私たちは古事記から歴史以外の上古の人、それを伝えた人の気持ちを大切にしたいですね。

 

*新潮日本古典集成と小学館日本古典文学全集を参考にまとめました。

 

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