太安萬侶が古事記を三巻に分けた理由

鳥居と桜:古事記が三巻の理由

「古事記は3巻からできているけど、この3巻って意味があるの?」「なんで仁徳天皇から下巻がはじまるの?」

どんなことにも意味があるといいます。古事記の三巻の意味は何があるのでしょうか。

今回はこの疑問を考えます。

古事記について

古事記は712年の和銅5年に撰上された現存する最古の歴史書です。この歴史書は天武天皇のご命令により稗田阿礼が暗唱したものを、天皇の崩御により中止となっていた作業を元明天皇が太安萬侶に命じ完成されました。

古事記と日本書紀は同じ背景のなかで完成されました。

6世紀の欽明天皇の御代には、言い伝えを基にした日本の歴史を書い帝紀や天皇家の系図を書いた帝皇日継(ていおうのひつぎ)や先代旧辞がまとめられました。7世紀の推古天皇の御代には聖徳太子と蘇我馬子が天皇記、国記の編纂をしました。残念ながらこれらの歴史書は残っておりません。

そして、壬申の乱後に皇位についた天武天皇は国史を編纂する事業を受け継ぎました。壬申の乱で荒廃した国、バラバラになった心をまとめるために、天武天皇は歴史書が国家の根本であり、天皇の政治の基本となる(「邦家の経緯、王家の鴻基」)と考えました。

古事記は諸家に伝え持つ帝紀と旧辞が真実と違い、さらに嘘偽りを加えていることを天武天皇は嘆き、このまま放置すれば真実が伝わらず嘘が本当になる恐れがあることを心配して古事記の編纂がはじまりました。

古事記は天皇家に伝わる話を元にして書かれたと考えられます。

*併せてこちらもどうぞ・・・古事記の成立を知って、古事記はじめをしよう【初心者向け】

三巻の「3」の理由

古事記が三巻なのは古代中国では「3」が聖数であり、これにちなんだとされています。

太安萬侶の時代感覚

古事記は現存する最古の歴史書と言われています。歴史は「過去」を語るものです。太安萬侶は古事記を書いた「今」は天武天皇の父・舒明天皇から始まると考えました。

それは、古事記編纂の計画は天武天皇の命令から始まりましたので、天武天皇につながる舒明天皇は「今」と考えられました。なので、「過去」は推古天皇までとなりました。

古事記を三巻に分けた理由

中巻と下巻を応神天皇と仁徳天皇で分けた理由は、「天皇観」の違いで分けられました。

「古事記」の目的は天皇や皇室に関わる氏族の系統をはっきりさせることです。天武天皇は天皇家に伝わる帝紀と旧辞が諸家に伝わる話と違うことを知り、天皇家に伝わる歴史に正すために古事記を編纂するように命じました。

そのため、古事記は天皇中心の歴史といえます。上巻は序文と天御中主神から日子波建鵜葺草葺不合(ヒコナギサタケウカヤフキアエズ)の命、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までに分けられています。

古事記は天皇家の歴史書といえるので、「天皇観」の区切りで分けられました。

天皇の存在とは

上巻は神代の巻です。天地がはじめに高天原に誕生した神様からはじまり、この国を統治する神様が家族をもうけこの国に落ち着くお話しです。上巻の最後に生まれたウカヤフキアエズの命の子供・神倭伊波礼毗古(カムヤマトイワレビコ)の命が兄弟と共に新しく政治を行う場所を求めるところから中巻が始まります。

カムヤマトイワレビコが天下の政治を行おうと思った、行うべき存在なのかを説明してきたのが上巻になります。「天皇の根源は何か」を語っている巻ということになります。それが天孫降臨神話に表れます。

稗田阿礼の存在

でも、天皇の正当性を主張するだけなら、横軸の氏族の神話はそれほど重要ではないはずです。それをだれが主役か分からなくなるほど色々語られたのは、語り部役の稗田阿礼の存在が大きいといえます。

上巻は縦軸と横軸がある構成になっています。

縦軸は伊邪那岐命と伊邪那美命~天照大神~ウガヤフキアエズ命という天皇につながる軸、横軸には天児屋命や太玉命などの氏族の祖神、や出雲神話などの国つ神の話で構成されています。

中巻と下巻の天皇の存在の表し方

カムヤマトイワレビコからはじまる中巻は、神武天皇、崇神天皇、神功皇后、応神天皇と神がつく天皇が多いように神様と関わって政治をしています。崇神天皇は三輪山の神を祀り、子供のために出雲大社に使いを送っています。仲哀天皇は琴を弾いて后の神功皇后に神がかりをさせ、神意を占いました。

仁徳天皇から始まる下巻は中国の史書でいる「倭の五王」の時代にあたると考えられています。他国との交流があり史実を踏まえて書かれました。

応神天皇の時代に論語が入ってきて儒教の思想がみられるようになってきました。序文にも書かれているように仁徳天皇のことを聖帝とたたえています。中巻の王位継承は末子でしたが、下巻では兄弟でも継承が可能になりました。これは、徳が備わっていれば天子となれるという儒教的天皇観に変わったと考えられます。

系譜の違い

「古事記」を三巻に分けた理由は天皇観の違いと、もう一つあります。それは、系譜の違いです。

普段私たちは○○天皇と呼びますが、これは漢風諡号です。神武天皇は神倭伊波礼毗古命といいます。こちらの長い名前を諱(いみな)といって本名または和風諡号といわれています。

この和風諡号での仁徳天皇は「大雀命」です。応神天皇は「品陀和気命」です。神功皇后に続く景行天皇、成務天皇、仲哀天皇は「帯(たらし)」の名前をもっています。

また、神功皇后は皇太子への反逆の気配を感じて大和を征討しとこを考えると、仁徳天皇と仲哀天皇の間には系譜上の大きな違いがあると考えられます。それで、応神天皇が新王朝のはじまりと考えられたのはないでしょうか。

終わりに

太安萬侶ははっきりと上中下の三巻に分けた。上巻は天皇の根本的意義について、中巻は神道的天皇像、下巻は儒教的天皇像と新王朝の違いによって分けたと考えられる。

ついつい○○天皇といってしまいますが、和風諡号で書かれている意味を考えなくてはなりませんね。それには太安萬侶の考えが表れている序文を見直したいと思います。

*この記事は新潮日本古典集成と小学館日本古典文学全集を参考にまとめました。