古事記のもう一人の編者・稗田阿礼への3つの疑問

梅の木:古事記の編纂稗田阿礼について

時に、舎人あり。姓は稗田、名は阿礼、年はこれ廿八。人となり聡明にして、目に度れば口に誦み、耳に払れば心に勒す。すなはち、阿礼に直後して、帝皇の日継および先代の旧辞を誦み習はしめたまひき。(古事記序文より)

稗田阿礼は28歳の時に、天武天皇から帝紀と旧辞を暗誦するようにと命令を受けました。それから、時が下って元明天皇の時代になり、太安萬侶と一緒に古事記を編纂しました。

この記事は古事記のもう一人の編者・稗田阿礼の謎についてまとめました。その謎を通して稗田阿礼はどんな人物だったか?、古事記の魅力について感じて頂ければ幸いです。

古事記の編纂・稗田阿礼はどんな人物だったのか?

稗田阿礼という名前の謎?

ここでいう姓は今の姓に近いイメージです。この時代に姓といえば「かばね」です。太安萬侶は自分で序文に「太朝臣安萬侶」とかいています。この「朝臣」が「姓」にあたります。

684年に天武天皇によって制定された姓の制度です。朝廷との関係を氏族、家柄の上下関係で表したという制度です。稗田氏が住んでいたとされる大和国ではほとんどが姓を持っていました。なので、当然稗田氏にも姓があるはずです。

また、この「姓は稗田、名は阿礼」という書き方が、この時代にマッチしていないという指摘があります。そのため後世、書き写したときに誰かが書き加えたという説があります。

稗田阿礼は男性か女性か?

舎人という役職は、宮廷での雑用や警備にあたっていました。ただ、雑用というよりも貴族の子供が官職に就く前の見習い期間や優秀な人を選別する期間に舎人という職を与えられた感じに近いように思います。

・男性説

さて、「舎人」といえば、通常は男性がなります。そのため、稗田阿礼は男性であると考えられます。

そして、男神女神の二柱ので一対の神様の場合、御神名が対応しています。人でも名前が対応するはずで、「アレ」が男性で女性ならば「アレメ」となるはずです。

例えば、養老5年の「下総国葛飾軍大嶋郷戸籍」に「荒(あれ)」が21歳から60歳までの健康な男子とあり、「荒女(あれめ)」は女子とあり、大宝2年「豊前国仲津軍丁里戸籍」に「阿利(あり)」という男子の名と「阿理売(ありめ)」という女子の名前が対応しています。それから考えると「阿礼」と「阿礼売」が自然ではないでしょうか。

・女性説

しかし、『弘仁私記序』や『斉部氏家牒』『西宮記裏書』などから天宇受売命の子孫の猿女君の出身から宮廷の大嘗祭や鎮魂祭などの諸儀に仕えた巫女という説がある。そのため、稗田阿礼は女性だったと言われています。

また、阿礼はひとりではなく巫女集団だったという説もある。古事記がもつ感情豊かな文学性が、巫女集団による暗誦のおかげだったと考えられているています。

女性なのに「舎人」としたのは、壬申の乱の時に舎人や地方豪族の活躍があったからで、その感謝の念を込めて「舎人」としたというのです。

・結論

稗田阿礼について書かれている資料は古事記の序文にしかなく、男性か女性かという問題は決定的な証拠がないため、いまだ決着していません。今後の研究に期待したいですね。

稗田阿礼が行った誦習(しょうしゅう)とは何か?

私はとりあえず誦習を「暗誦」としました。誦習には暗誦する説と古記録を訓読する説があります。

「誦」は節をつけて読むこと、「習」は繰り返し慣れる意味があることから、記録物をもとの言い伝えのように訓読する意味に捉えた方がいいでしょう。

では、記録物とは何かという問題が起きてきます。天武天皇は川島皇子達に帝紀及び上古の諸事を記定させました。この記定させたものは古事記の序文にある帝紀と旧辞と同じと考えられており、これが記録物といえます。

古事記には声注(しょうちゅう)というアクセントの注記や上代特殊仮名使いをかき分けたこと、リズミカルな文章体であることから、漢文で書かれた記録物を読み下したと考えられます。

とだ、ここにも問題があり、漢文で書かれた正式文章を読み下しただけで、古事記の持つ文学性ができあがるとは考えにくいでしょう。そこに巫女集団の、女性の噂好きな要素も加わって地方の物語や感情的な物語になったと考えられ、やはり稗田阿礼は女性だったのではないかと考えられます。

また、記録物自体がどうだったのか、稗田阿礼や太安萬侶が沢山の言い伝えの中から拾い集めた作業とあることや誦習させた意味を考えると、まだまだ謎は深まりそうです。

最後に

男性か女性かは現代では大した問題ではないかもしれません。でも、上に書いた問題が変わってくることを考えると、大事な問題でしょう。

猿女君の居住地であった奈良県大和郡山市稗田町に売太(ひめた)神社があり稗田阿礼が祀られています。神社名が男性でも女性でもどちらでもあるような名前です。これがまた謎を生みますね。

私自身は真偽はどちらでもいいと思っています。神道が好きな人、神道に関わる人にとって大切なことはそこから何を学ぶかではないでしょうか。私には古代には性別を超えた時代があったと教えてくれているように思います。

*「新潮日本古典集成」「小学館日本古典文学全集」の古事記をもとに書きました。